ロベール・アルヌー(アルヌー・ラショー)
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ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ=コンティで目を見張るようなワインを味わい、その地を去ろうとしたとき、アルベール・ドゥ・ヴィレーヌが次にどこを訪問するのかと私に尋ねてきた。
私が、ドメーヌ・ロベール・アルヌーと答えると、彼は微笑んで、すばらしいワインをテイスティングすることになるだろうと答えた。
それは冗談ではなかった。
非常に聡明かつ繊細で真面目なパスカル・ラショーは、1993年以来、ドメーヌ・ロベール・アルヌーのワインに一人で責任を負ってきた。
彼は、薬剤師になるべく学校に通っていたが、薬剤師として働いたのは、兵役につくよう呼び戻されるまでの、卒業からかずか3ヶ月間だけであった。
兵役を終えた直後の1985年に、ガールフレンド(のちの妻)の父親のアルヌーから、ブドウ園で働くように頼まれたのである。
ラショーは、科学的なバックグラウンドとワインを愛する気持ちから、ドメーヌのワインを改善するために何ができるかを研究することになった。
彼は、畑の仕事には確固たる信念があり、合理的な争い(彼によれば、できるだけ化学肥料を使わないという意味)の慣行に従って、このブドウ園がかつて行っていた高い収量を劇的に下げる、本格的な剪定作業を行っている。
ブドウは100%徐梗し、発酵温度をしっかりと監視して低く抑え、新樽の割合を増やしてきた(低いものではブルゴーニュの15%から、ヴォーヌ=ロマネ・レ・シュショ、クロ・ド・ヴージョ、エシェゾーの70%、ロマネ=サン=ヴィヴァンの100%にまでわたっている)。
ラショーは、自らの醸造家としての任務は「果実味、エレガントさ、柔らかいタンニンの追求」であるといい、現在では澱引きを年2回に制限して、それまで行われていた清澄処理と濾過処理をとりやめた。
ラショーの改革がどんな結果をもたらしたかは明らかである。
このブドウ園ではずっと、コート・ドールで最も優れた製品群を生産してきたし、現在でも最高のワインを生み出し続けている。