ジャック・フレデリック・ミュニエ

現当主のフレデリック・ミュニエがシャンボール・ミュジニーに帰ってきたのは1985年、30歳の時だった。 スイスで生まれ、石油関連のエンジニアとして世界を飛び回り、定期便のパイロットとしても活躍した。 「まったく違う生き方をしてみたかった」とフレデリックはいう。 ドメーヌが所有する珠玉のクリマは1889年、リキュールメーカーを経営していた曽祖父のフレデリックが、モレ・モンジュ家から購入したものだ。 ミュジニー(1.13ha)、ボンヌ・マール(0.36ha)、シャンボール・ミュジニー1級レザムルーズ(0.53ha)、ニュイ・サン・ジョルジュ1級クロ・ド・ラ・マレシャル(9.55haのモノポール)……。 しかし、父の代まではワイン造りに直接関与せず、これらの畑はすべて他の造り手に貸し出されていた。その契約が85年に切れるのを機に、フレデリックはワインの世界に身を投じる決意を固めたのである。 ボーヌの醸造学校でワイン造りの基礎を学び、隣人のクリストフ・ルーミエやヴォルネイのミシェル・ラファルジュに指導を仰いだ。 ブドウ栽培はビオロジックに限りなく近く、除草剤、殺虫剤の散布はなし。必要に応じてベト病対策の薬品をわずかにスプレーするのみという。 除梗は100%。低温マセレーションはせず、木桶とステンレスタンクを併用して醸造を行う。木桶のほうが優っているという意識はなく、純粋に量的な問題で使い分けている。 樽熟成期間はおよそ17ヶ月。新樽の割合はどのアペラシオンでも15〜20%と比較的少ない。 このような造りから、さほど色の濃度は抑えられ、口当たり柔らかく、シルキーな喉越しのワインが生まれる。 いかにもシャンボール・ミュジニーという風情の仕上がりに、誰しも頬を緩ませるだろう。 面白いことに、この傾向はニュイ・サン・ジョルジュのクロ・ド・ラ・マレシャルでも変わらない。 このミュニエが全面積を所有するモノポールのクリマは、2003年まで50年にわたりフェヴレに貸し出されていたものだ。ようやくその契約が切れ、2004年からミュニエが栽培・醸造している。 フェヴレ時代のクロ・ド・ラ・マレシャルは、まだ長期熟成型を標榜する先代の造りだったことも手伝い、いかにも怒り肩のワインだった。 しかし、ミュニエ時代になってからは、これが本当に同じクリマかと訝るほど、エレガントなワインへと変貌している。 また、フレデリックはクロの最北部にあるピノ・ノワールに、その根を残したままシャルドネの穂木を刺し、2005年ヴィンテージよりクロ・ド・ラ・マレシャルの白を復活させている。 香り高く、デリケートでエレガント。ミュニエのワインは一本筋が通っている。 ※輸入元資料参照

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